※このページでは、筆者なりの実習指導で示してきたデイリーやケースレコードの記載例を載せています。スマホではきちんと見れませんのでパソコンでの閲覧をお勧めします。


本ページに自力でたどり着く方たちの中に実習指導に関することでたどり着いた方が多いので、筆者の経験や知識から応えていければと思っています。あと、ここで触れていること以外で具体的に筆者に聞いてみたいことがあれば、「ご質問、ご意見」より送っていただければ個別にてお答え、あるいは筆者ならするであろう対応などお返しします。また、宜しければアンケートにご協力お願いします

 

・課題への不安への対応(学生編)            R5・12・22更新

 

 学生にとって、指導者にとって実習時の課題についてはどんな書式や程度にすべきかと悩まれるでしょう(養成校より書式を指定されていても)。しかし書式や程度は学生が実習の中で見学した内容、受けた指導の内容、またそれらをもとに学生として考えたことを伝えるための形にすぎません。

 

しかし学生にとってはその「枠」があっても何をどう書けばよいか決断することは難しいと思います。というのも、養成校の指針を学生なりに解釈し、頑張って課題を書いたとしても、指導者が求める感じに仕上がってなければ指導が入るので、学生にとってここが一番の不安となります。この「指導」というものは要は注文であり、学生にとっては悩んで頑張った行為や気持ちに対して不足や否定をされるのではと不安が高まりやすくなります。この不安を少しでも軽減するため、学生はインターネットで役立ちそうなサイトを調べたり書籍を調べますが、都合よい=具体的に「こうすれば大丈夫」と記されているものは少なかったり、更にそれを実行するために求められることがあったりして、誰でも模倣すれば出来てしまうものはありません。故に学生は闇雲に自身が見聞きしたものを大量に記載しがちとなり、書き方を迷いながら記すために課題作成に時間がかかる=時間をかけすぎてしまうことになります。また、そこまで時間をかけてもあまり書けずに終わってしまい、指導者にさらに「こうしてほしい」と言われると、どうしたらいいかと悩み、悪循環に陥ってしまいます。課題を出せない、もしくは指示通りに出せないということにもなりかねません。

 

 

 しかし、指導者にとっても課題を出してくれないと指導の機会になりません。指導者にとっては自身の指示に学生が応えきれないと感じるのは当然ですが、自身の実習進行への不足に対する不安や学生への心配も大きく、決して「学生が頑張っていない」など批評だけではないのです。また指導場面における指導者の言葉もどうしてもきつく感じることがありますが、焦りということも多いと思いますし、もっと頑張れれば乗り越えれることもあると言葉が強くなるということもあります。決して学生への批判や怒りということが一番ではないと思います。

  

 なので学生に頑張ってほしいのは、その時に自身が実習場面で見たことや聞いたこと、そしてそこから自分なりに考えれることを出し切るように一気に記載してほしいということです。指導者も課題の書いた文章や内容から、学生の状況を理解することが出来ますので、そこから助言や指示、要望を伝えることが出来、指導者の焦りや不安も一旦は軽減します。

 そもそも「指導者に注意されてしまう」「頑張っていないと思われる」などの不安により課題提出が遅れたり、指導されたことに取り組まないと、かえって指導者の焦りや不安、不満から指示や指導が増えてしまいかねません。となると、出さない、取り組まないよりは取り組んで提出に遅れない方がまだ「取り組んだ」「指導者の指示に応えようとした」となり、やらないよりは確実に「やった」となる訳です。

 

ちなみに指導者も、学生がどうすれば課題を書いてもらいやすくなるかを一生懸命悩んでいると思いますし、指導時間が長くなったり、また同じ指導を繰り返されることがあってもそれは「わかってほしい」「伝わってほしい」という気持ちなのではと思います。なので、まずは提出することを大事にしてください。 

 

そして指導者にお願いしたいことは、学生が課題を出すことの難しさの理解をすること、そして難しさを煽らないようなかかわり方や指導の仕方を考えることが必要です。これはIcfにおいては学生にとって指導者は環境因子だけでなく、阻害因子になりかねないということ、そして対人関係においては互いに影響しあうものであることを理解する必要があります。実習が上手くいかないときは決して指導者自身に何の問題もないわけではありません。何かしら学生に自身が望まない影響を与えてしまうこともあるからです。自分本位にならず、学生とともに実習を成していくものと思ってください。

 

 

 

・課題(レポート)に対しての学生への対応(指導者編)            R5・12・22更新

 

  学生の課題への不安について、前項で述べましたが、指導者側はどうなのでしょうか?実習指導に絶対の自信を持っていますか?自信だけでなく、学生に自身が示す作業療法に対して確信をもち、また誰が見ても理解出来るように示すことが出来るでしょうか?

 おそらく、自分の中では「こうありたい」「こうしているつもりだ」というのはそれぞれにあると思います。しかし、それを実際に実習場面で学生に示し、理解出来るように行えているかというと、「そこまでは」と思われる方も多いのではないでしょうか?もしそこまで行えるのであれば、学生に生じる不安や抵抗は早々に軽減でき、業務にも支障なく学生も睡眠不足に陥らない、理想的な状況になるでしょう。しかし実際には業務の合間になんとか学生の課題のチェックを行ったり、定時以内での指導に不足を感じたり、学生の課題の達成度への不満も感じるのではないでしょうか?またそれらは学生への不満と不安だけでなく、自身への不足や不安、不満という気持ちもあるでしょう。

 

 このようにおそらく実習内では学生だけでなく、指導者もまた一緒に悩んでいることでしょう。しかし、それを「お互い」と認識しあうことは難しいでしょう。また、その悩みからより大きな不安や焦りに繋がってしまい、自身の学生への振る舞いに繋がってしまう可能性があります。またその際は「焦り」や学生に応えてほしいと強い口調や表現となるかもしれませんが、学生にとってはそれはどう映ってしまうでしょうか?

 

 そもそも学生にとっては指導者は自身の行く末を決定する存在であり、自身の課題への査定と判定を行うものという認識を持たれかねません。なので、厳しい注意や否定として映ってしまうかもしれません。そうなれば学生は難しいことや確信が持てないことへのチャレンジが困難になるかもしれず、それが学生にとって出来ることしかしないこと=広がりが持てないということに繋がってしまうかもしれません。そのように指導者にとっても進展を感じにくい状況になれば、より指導者自身が追い込まれるかもしれません。

 

 このような事態は学生、指導者双方にとって望まないものであるのは一目瞭然です。なので指導者がまずできることは、学生が課題を出すことの難しさの理解をすること、そして難しさを煽らないようなかかわり方や指導の仕方を考え、実習(というか指導者)への不安を高めないことです。Icfの考えに沿って示すと、学生にとって指導者は環境因子や阻害因子に該当しますし、そして対人関係においては互いに影響しあうものであることを理解する必要があります。実習が上手くいかないときは決して指導者自身に何の問題もないわけではありません。何かしら学生に自身が望まない影響を与えてしまうこともあるからです。自分本位にならず、学生とともに実習を成していくものと思いましょう。

 

 

・課題(レポート)の書き方~               学生編ーどんな書き方がよいのだろう?                R3・12・31更新

結論から言うと、

①作業療法の基本的知識や姿勢のもと

②指導者の指導をきちんと反映した記載であり

③期限を守る

④そして見やすい(学校指定の書式かつ無駄の少ない文章、表現が標準的であるなど)

といったところでしょう。しかし、これが達成しにくい理由・・・特に②についてはしっかり考えないと、学生自身不安は取れませんし、指導者もどう書いてもらっていいかも分からず以前同様の後出しじゃんけん&納得いくまで修正ループに陥ります。ここではどうすれば解決できるかを考えたいと思います。

 

学生が、そして実は指導者の多くが一番求めるのがここではないでしょうか?本当はこういったことは単純に知識の不足だけではなく、また全体の一部でしかなく、またうまく書けないときはほかの理由があるものです。

 

 学生にとっては「何を書いたらいいかわからない」「自分にかける知識やスキルがない」といった訴えが多いのではないでしょうか?両方とも当たってはいますし、特に後者にとっては不足していて当たり前です。学校で習ったことを現場で見せてもらかつ見たことと知識が一致できることも必要になりますが、その際自分では「こうじゃないか?」と思っても指導者や指導場面への不安もあり、「書く」こと自体への抵抗も大きいでしょう。

 そしてその抵抗は、いろんな書籍や当サイトのような「レポートの書き方」をうたっているサイトを見ても、軽減できなかったのではと思います。当サイトで挙げている書き方の見本にしても、形式としては特に昭和~平成初期のОTRであればおなじみのものです。そして現在に至っても、指導者というか現場が求める課題の内容というか方向性については大きく変わるものではありません。

 

 では、どうして「これだ」という課題の書き方というのが存在しないのか?それは、学生がもとめているのは「こう書けば大丈夫」な課題の書き方であるから!ではないでしょうか?

 

 学生が望んでいる「大丈夫」というのは、自分が否定的な指導をされないで済むことかもしれません。もしそうであれば自身が現場の作業療法士として十分な作業療法の理解、それらが根底にあってきちんと使える「知恵(知識ではない)」、その上での作業療法評価と治療の立案、それに責任が持てる自身の経験と判断と覚悟があって初めて実現できます。そして現場のОTRも、いつも他のОTRとの間で自身の治療とそれに関連する行いに対しては互いに査定しあっていると言えますので、正直大丈夫でもなんでもないかもしれません。

 

 しかし実際に課題を何度出しても、また何度指導を聞いても「何をどうしたらいいかわからない」となる場合も、また指導内容が理解できない場合もあるでしょう。というか、本来問題となるのはこちらです。

 

 もし「具体的にこう書けばよい」という課題の書き方があるとするなら①「習った作業療法の基本的知識や姿勢の反映」だけでなく②「指導者の指導をきちんと反映した記載」が必要になるのではないでしょうか?ここ以外のページでは筆者なりに⓵について触れてきましたので、ここでは特に②と③について触れていきます。

 

 

・課題(レポート)の書き方~                指導者の指導をきちんと反映した記載            →その時の指導者観に応じた書き方ということを考える

結論としては、学生は指導者が書いてほしい方向性、作業療法の考え方や価値観を理解し、指導されたことは課題にきっちりきっちり反映させる。実習中もその方向性を反映させて取り組めることは言うまでもない

 

 おそらく、これまで臨床実習にて学生が課題を書くのに苦労した理由の一つではと思います。上記のように行えれば苦労はしません。そもそも作業療法士自身が自分の作業療法観を伝えることが出来るかは、療法士一律同じではありませんので、前回習ったことをすべてそのままなぞればよいわけでもありません。やろうとしても指導初日では当惑や委縮により難しいかもしれず、そのまま引きずりかねません。レポートの記載については、学生だけでなく指導者側の側面もありますので、両方から考えていきます。

 

 作業療法の解釈というものは、指導者=OTRが何年か現場で自身の習った知識を実際と照らし合わせる機会があったり、またそれぞれの学習や経験により補完されていくことで「知恵」や「解釈」となっていくのではと思います。しかしそれぞれの価値観や思いにより経験や知識の解釈は様々となりますので大きなとらえ方は大体作業療法っぽくあっても、より細かく見ていくと違いが生じます。なので、実習地によって指導の深度や方向性にばらつきが生じるのは当然かと思います(同じ実習地内でも全く別物になることも)。

 

 しかし、学生が指導者の考え方=作業療法観であったり価値観を理解するのは時間を要します。それがわかるまでレポートが上手く書けないことを指導者は認めづらいです。実習には期限がありますので、指導者は指導者なりに出来るだけのことをしようとします。大抵のまともな指導者は業務上ゆとりのない状況で指導者なりに時間を割き、学生への配慮も出来るだけ行って、自宅でレポートを書くのに困らないように指導をするものと思います。ましてや現在は学生を定時に寄託させないといけなくなってきているので、自身の業務より指導を優先することも増えているものと思われ、益々「限られた中で最善を尽くす」ことになっていると思います。

 

 このような状況の指導者としては、少しでも自身の指導に意味があってほしい、報われてほしいと思うのではないでしょうか?そこに学生なりに迷い頑張って書いてきた課題が結果として乏しかった場合、指導者としては不満や焦り、不安を持ってしまうかもしれません。そんなことになると指導者はより力を入れたり、学生を鼓舞しようとしてしまうかもしれません。その結果指導内容が複雑になったり、課題の量が増えてしまうかもしれません。またただ書いてきたり、指導者の出してきた課題を漠然とこなしても、やはり指導者の望む形にならなかったら同様に指導者の焦りや不安を助長しかねません。

 

 このような理由から、学生はともかく課題を期限通りに出すこと、そして不安があってもとりあえずは実習内で見たこと学んだこと考えたことを漏らさず記載した方が良いです。しかし学生にとってはどういったことを記載したらよいかわからないことで記載に支障をきたすかもしれません。であればズバッと直球で聞く方が良いかもしれません。書こうとしても実習中の見学や体験が不足しているときは、次回以降に具体的に何を見、また動けばよいか、その都度聞いた方が良いでしょう。指導者はこういう質問をされると ①やる気があるなぁ②指導が足らなかったか↷③いちいち聞かなければわからないのか!④どう答えたらよいだろう?、のいずれかを思うのではないでしょうか?今の実習においてはクラークシップを推進していこうとしているので③では実習地や指導者としてもまずいので、学生も不安がらずに、わからないことは聞いていった方が良いでしょう。特に指導者は③や④にならないように努める必要があります。

 

 実習後半になると、学生としても何とか指導者の課題についていけるようになると思いますが、指導者としては、学生の理解が進んできたと感じたり、指導者の指導を自身の課題や動きに反映させれるようになってきたと感じるわけです。それは学生の作業療法の理解が進むだけでなく、指導者に合わせた記載の仕方や程度、深度の理解が進み、指導者に合わせやすくなっていった可能性があります。学生は出来るだけ早く指導者の求めることの理解とそれに沿った表現が出来るようになることで、指導時間や量の軽減=自身への負担や不安の軽減につながるので、やはり積極的かつ具体的に聞いていった方が良いと思います。

 

 

 

 

具体的な記載:日々の記録領域

①デイリーレコードについて

日々の記録・・・ですが、一日に何があって自身が何を感じたり思ったのかといったことを書くという風に教わりましたし、学生にもそう伝えています。ただ、学生はこの時期実習の中で直面や体験したことの意味がよくわからず、さらに指導者の目を気にしてあまり自身の感情や考えを素直に記載しきれないこともあります。デイリーのフィードバックでは直面した場面の状況などから学生がどう感じたり考えたり受け止めたのか、いくらか予測しつつ学生が表出しやすいように導くことが重要です。そのためには実際場面の振り返りとその中でどこにどうしてそのように感じたのかを表出する手伝いをする必要はあるかもしれません。この振り返りの形は他のどの課題でも確実に行う作業でしょうし、指導者がどのように表現をしてほしいのかを具体的に示す機会にもなります。「自力でやるべし」は重要ですが、指導者の納得いく形を書いてくるまでダメ出しをし続けることは学生にも負担(物理的精神的)になります。指導者がどのような考えをもっており学生にどうあってほしいのかを伝える入口としてデイリーレコードを活用すればよいのではないかと思います。

 ちなみに、筆者なりに学生に書いてもらいたいデイリーの例、デイリーとして面白くない例を載せておきます。

デイリー面白くない例

今日は園芸に参加しました。肉体労働でしたが患者さんが楽しそうにやっているようにみえました。頑張っている方、そうでない方、皆自分のペースで参加していました。スタッフも作業はしつつものんびりとした雰囲気でされていました。


デイリー書いてもらいたい例

園芸では収穫物に喜ぶ患者さんを見て、収穫が自分が自分の成果を素直に喜べる機会が日常にあることが大切だと思えました。またゆっくりしている方でも自ら草抜きなど取り組む方も多く、そのようにやっても構わないようにとスタッフがうまく声掛けされており、自分も安心して作業が行えました。意図した振る舞いなのかと感じました。


 左の「面白くない例」は単なる日記です。読んで伝わってくるものはあまりないです。右の「好きな例」は、学生なりに見たことを学生がどうして気にしたのか、また見て何を感じ、また何が見えたから感じたのかといったことがおぼろげながら伝わってくるのではないでしょうか。またここでは触れていませんが、実習中に感じた不安や不満、指導者への疑問や意見なども、その場面や出来事を交えて記載してもらっても構わないでしょう。

 

 最終的には筆者はデイリーレコードはその名の通り日々の記録であり、実習内で感じたことを感じたままに書く機会であると考えます。感じたことを阻害されることなく表現し根拠を明確に表現することは重要ではないでしょうか? またそういったことを学生が書けるような指導や関わりができる指導者であることが重要ではないでしょうか?

 

 加えて、デイリーの書き方は、学生がその場面で何を見てどうしてそう感じたのかを表現してもらうという、今後のレポート記載でも根幹となる部分を含んでいます。学生は単に毎日の課題とするのではなく、そういった部分を練習ないし理解する機会として活用した方が良いと思いますし、バイザー自身もフィードバックの仕方など工夫が必要と思います。

 

 

 

具体的な記載:ケースレコード(ケースノート)について

 ケースノートは作業療法評価に繋がる作業療法場面での観察や考察を観察毎に書き記すものです。そのためには作業療法評価や考察で触れてほしい事とその理由を指導者側が理解していなければなりません。
 筆者の場合精神科なので、ケースの行動(活動や参加)においてケースという個人が周囲からどの様な影響を受け、結果としてどの様な様子、振る舞いとなったかを書いてもらうことが多いです。筆者がこういった書き方をしてもらう理由は、ケースへの周囲からの影響がケースにとってどのような意味になるのかをケースの振る舞いや様子から考える(解釈する)ことでケースの個人因子が見えてくると考えているからです。ただ、一度限りでは断定できるものではありませんので、関わり(観察)で感じたことを仮説としながら場面ごとの観察を重ねることで仮説を焦点化に繋げていきます。臨床では日々の記録がケースノートに該当しますので、記載者がケースに抱いた印象と同様の印象を抱けるようにケースの意味のある振る舞いや行動、様子に焦点を定めて記載します。
 
ここで触れたことが正しいかは読む方の判断にお任せしますが、学生に何を書いてもらうか、どうして書いてもらうか、きちんとした理由(理論であったり目的であったり)が必要です。というのも、ただ「観察した事」を学生に書いてもらうと、かなりシンプルかひたすら細かい、しかもどこに焦点を置いた記載なのか分からない記録になりかねません (書かないといけない、なにを書いたらいいかわからないといったプレッシャーがあるでしょうね)。そこで何のための「観察」であり「観察した事」なのか、具体的に指導者が伝える必要があります。タイミングは指導者次第ですが、指導時間を効率使うために早めにしておく方がよいかもしれません。しかし学生に気づいてほしいと思ったり学生が悩んだり求めてくるタイミングまで待ちたい指導者もいるでしょう。そのあたりは指導者が責任を以て決めてください(筆者は指導2日目くらいでどのように書いてほしいか、理由や例を以て伝えます)。また指導者自身、きちんと書いてほしいことをイメージできなければその先の評価、考察や焦点化のイメージもないことになります。そこに繋げるためにどのような内容で程度の記載が必要か、イメージできて損はないと思います。

 

 あと、よく書いてもらっている書き方を示してみます。上記内容に沿って学生が書くとしたらと想定しつつ、その場でのケースの心の動きに沿った外面への反応、OTSの行動のとり方や反応とその根拠となる対応理由を記載してもらっていました。


ケースの動き

「あ、○○さ~ん、おはよ~」と廊下の端から手を振って駆け寄ってくる。


 

 

「あ、いえ、特にどうということではないんですが・・・」と、表情から笑顔が消え、声も暗い感じになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いえ、自分こそなれなれしくてすみません」「いつもこうなんで・・・」

 

 

 

 ケースの振る舞いや表情など、心の動きが反映されたものとして「様子」「行動」を書く。また学生や周囲の何にどう反応したり返したのかなど明確に記載する。

OTSの対応

 昨日までは少し緊張して見えたのに、どうしたのかとびっくりした。「どうしたんですか?」と返した。

 

「え?どうしたんですか?」

と気になって聞き返した。その後挨拶がまだだと気付き「忘れてましたすみません、おはようございます」とあいさつをした。

 

 「あ、いや、昨日より明るい感じで呼ばれてびっくりしただけなんで。怒ったりとかじゃないんですみません。」と、少しぎこちない言い方になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

左記の(対応の理由・考察)が反映されたものとしてのケースへの対応を書く。学生の心の動きに基づいた表情や振る舞いなどを記載するように。

対応の理由・考察

 他の患者さんや担当スタッフへの接し方と同じに見えた。安心感を抱いたのか?それとも陽性転移か?

 

 こちらがどうしたと聞き返したことで、距離が近すぎたことに気付いたのか?それよりも謝ったということもあり、何かこちらに悪いことをしたと思わせてしまったのではないか。相手がこちらに身構えてしまったようにも見えたので、何とかしないと・・・

 

 

 

 

 

やっぱり身構えさせてしまった。でも、いつも嫌われてるといったりすぐに謝ってしまったり、自分をよく思われていないと思いがちに見えた。

 

学生がケースに反応したプロセスとして、ケースの何にどう影響を受けたのか、抵抗感なく記載する。


 

 あくまで例ですが、ケースの反応の仕方、それに対してのOTSの反応や行動選択の理由が伝わるように記載することを促しています。それにより、ケースの参加の仕方、周囲(OTS)から受ける刺激や逆に与える影響など可視化できるのではないかと思います。また行動や参加の仕方はいくつか蓄積すると類似した傾向のようなものにたどり着きます。また周囲から受ける刺激の蓄積からどのような刺激にどのように反応するのかが明確になり、そこから個人因子へとたどり着きます。

 また、学生が何を見て、どう映り、どう解釈し、そのうえでどういった行動や反応を示したのかを具体的に書いてもらえるように指導できれば、学生は自身の伝えたいことを可視化することができることになります。しかしそれがむずかしい場合に学生のみに理由を求めるのではなく指導者側の問題をきちんと直視することが大切です(「実習指導のポイント」を読んでみてください)。安易に学生の用いる表現や記載量などにとらわれず、伝えたいことをこちらが汲むことも必要です。学生の解釈についても一方的に否定するのではなくその解釈に至ったプロセスをきちんと聞き、そのうえで意見田提案をしていくのがフィードバックです。また記載場面を共有し、学生が見て感じたことを引き出すことがフィードバックの役割の一つです。引き出せたことを次回の記載に活かすことを求めつつ、活かしやすいように「こうやってもよい」と伝えたり認めることも必要です。そして、ケースノートでのやり取りから評価をどう記載するか、考察で何に絞っていくのかに繋がっていきます。

 

 

具体的記載・症例orレポート作成に関する領域

ここでは、学生さん、指導者ともに一番悩むであろうレポート記載・治療領域に関係するレポート作成について触れます。ちなみに筆者が行っている「観察や評価」「統合と解釈」「焦点化と治療計画」については実習指導支援ツール筆者モデルで具体的に記載しています。これらのプロセスの可視化や共有化が本ツールの目的でもありますので、本項を読んだ方は是非実習指導支援ツールも目を通してみてください。

①観察・評価・統合と解釈・焦点化が行われる順番について

 これについては、気付いている方がほとんどだと思われます。要は、これらは並行して行われていますし、毎日が観察であり評価であり統合と解釈であり焦点化です。

 その日に観察(関わり)しながら情報の蓄積と傾向を探り、どういった参加や活動を行っているか、そしてその活動や参加の原因は何なのかを仮説を立ててみる・・・といったプロセスを毎日繰り返します。また毎日の繰り返しの中で気付いたことを次回に反映させていくことで、アバウトな観察が適切な評価のためにより焦点を絞った観察に、仮説に対して精査が進んだ評価に、これらにより複数の場面で見られる対象の参加や活動が対象の傾向として統合されやすくなり、解釈できる状態になることで対象者の障害像を表現することができます。

 ちなみにこの作業を日常的に行うために重要な役割をするのがケースノートです。ケースノートに記載した後に次回OT場面で何を見たり接し方を考えるという作業がやりやすくなります。また治療初期段階では必要な関わりを焦点化することが難しいと思いますが、ケースノート記載やフィードバックで焦点化する糸口を拾うことはできるのではないでしょうか。それにより学生さんが必要な治療場面を作ったり関わることができる可能性が上がります。それはそのまま学生、患者さんの負担や時間浪費の軽減につながります。

 

 また、ここに記載されていることを理解できた方は実習指導支援ツールにきちんと目を通すことをおすすめします。筆者なりではありますが、上記内容を踏まえた上でのレポートを仕上げていくプロセスや行動を形にしたものが実習指導支援ツールです。ぜひ一読してみてください。実習指導真ツールはこちら

②評価の・・・記載の方向性

 評価領域で何を書くか.と聞かれると、観察の集約ですが、これでは「わからない」と返されてしまうでしょうからもう少し。

 例えば対人関係一つとっても話し方、声の抑揚や大きさ、表情、位置取り、話す時間、話題や要件の傾向など、書こうと思えば観察したことすべて書けます。しかしただ観察したことを羅列しては何を「評価」しようとしたか判りません。

 ようは「活動」「参加」といった場面で「どのような状況で」「どのようにやっているか?」「その結果どうなっているか?」といった対象の動機や意思と周囲との関係性を見るということだと思います。

 

OT場面で見せることは実際の生活や社会参加場面でも起こり得るとは誰しも思いますが、そういった当事者の今後の生活に意義のある治療計画を立てるために、またそのために妥当で適切な根拠となる統合と解釈に繋げるためにも目的や視点を定めた評価の記載が必要です。

 

 以下、「OT評価」の記載例を2例挙げておきます。

評価やり始めた段階

対担当:気さくに喋っており、友達関係にもみえる。親しみが強い。革細工ではいつも独力でなんとかしようとしており頼ろうとはしない。作品が完成すると「中々でしょう?」と担当スタッフに見せることも多い。

 

 

 

 

 

対他スタッフ:ほとんど関わりがない。要件を言うこともなく、他患や担当スタッフとの関わり中心である。

後半にたどり着いてほしい形

対担当:敬語ながらもくだけた様子で自身の趣味の話題も自ら話したり、病棟や対他患との関係で相談することもある。しかし自身の作業に対してはスタッフに頼ろうとはせず自身で行うことへのこだわりが強い。また完成した作品の評価を求めたり「先生より上手いんじゃないですか?」など周囲を比較して自身の優位性を確認することも多い。またOTを休む際も担当スタッフにのみ伝えている。

 

対他スタッフ:挨拶はするものの、ほとんど寄ってくることはない。活動内で困った際にも担当以外に質問や助けを求めることはない。特に男性スタッフに対してはこれまでも特に何があったわけでもなかったがあまり目も合わせようとはしない。担当スタッフが休みのときには黙ってOTを休んでしまうこともある。


 

 この評価の例文は、後述の統合と解釈の根拠として読んで頂ければと思います。活動や参加に対して対象が見せる姿を通じて、対象の個人因子が断片的に見える必要があると思いますし、他の評価項目と統合をすることで、個人因子や促通因子、阻害因子が見えてくるのではないかと思います。

 しかし、特に学生は最初からそう言った作業が明確にイメージできてはいないでしょう。だからバイザーは学生にたどり着いてほしい「解釈」を早期にイメージし、そこにたどり着く為にどういった評価が書けてほしいかをイメージする必要があります。そしてその評価にたどり着く為にどういった場面をどう拾ってほしいかを伝えていく必要があります。

 

 しかしそれ以上に筆者が重要視するのは、上記①で書いたように、少しでも評価の蓄積があれば速やかに統合と解釈を行うということです。漠然とでも解釈=障害像、初期段階では印象にすぎないでしょうが、そういったモノを学生が抱いているのであれば、それを一度形にしてみることを勧めたいです。上がってきたものがあればバイザーとしても学生がどう考えているか、間違いや不足など理解しやすくもなりますし、具体的にどう評価を進めるか、治療場面で何を注目すればよいかなど指示も出しやすくなるのではと思います。そしてそういったより具体的な指導や指示は、そのまま学生の安心感にもつながるのではと思います。



③統合と解釈について&書き方

統合と解釈支援ツール(下記よりダウンロードしてください。

統合と解釈
統合と解釈をすることは、対象の背景因子を考えるということである、ということを、現状の現場や教育からの影響も鑑みて文章化しています。
2018統合と解釈.pptx
Microsoft Power Point プレゼンテーション 134.7 KB

統合と解釈は、評価で得たことをまとめ、対象自体を理解するためのプロセスと思ってます。そのために、①特徴的と思える活動、参加場面の抽出②見るべき視点の特定(評価項目)③場面ごとの評価を比較し、まとめる④③で出たことがどういった受け止めができるかを考える、といったプロセスとなると思いますが、より視覚的にわかりやすく、また作業的に行えることで「統合や解釈をするいみがわからない」という方でも統合と解釈を行えるようにと作ったのが「統合と解釈支援ツール」です。

 

評価項目については養成校指定の文言を入れても、個々の対象に対して必要な項目を設定しても構いません。

統合と解釈支援ツール.xlsx
Microsoft Excel 19.4 KB

 筆者の時代は統合と解釈や焦点化という言い方ではなく、ひとくくりに考察扱いでした。また現在は統合と解釈、焦点化がこの場所を占め、考察は治療への結果に対しての振り返りや再考のポジションで使われているケースが散見しますが、養成校ごとにこの辺りの指導がまちまちで、正直はっきりしにくいです。しかし統合と解釈や焦点化の目的は、問題点を挙げることが目的ではありません。問題点を抽出することは重要ですが、それはあくまで個が望む自身の人生やニードの妨げになる阻害因子に気付き(これすら相対的ではある)、軽減することでニード達成を支援することが目的です。だから、出来ないことや他と違うことをずらずらと並べることにあまり意味はありません。「障害像を明らかにするため」と挙げることは間違いではありませんが、それが必要な理由は、治療のポイントを見つけ出し適切なリハビリテーションに繋げるための足掛かり(治療計画)を作るためです。

 

まず統合と解釈とは、評価で得られた情報を整理し、その人固有の動きや反応など共通していると思われる内容をまとめ(統合)、そこで出てきたことが何を意味するのかを理解し表現(=解釈)する作業です。対象者の活動や参加の仕方を整理し、その活動や参加の仕方がどうして起こるのか、対象者の社会や周囲、環境が対象に及ぼす影響を明確にしながら、その影響に左右されることがどういうことかを解釈することで対象が持っている個人因子を特定する作業・・・ということと、筆者は解釈しています。 この筆者なりに解釈している統合と解釈をもとにレポートを記載してもらう際には筆者は学生に以下のような手順で書いてもらいます。

 

・観察や直接のかかわりの中で特徴的象徴的な場面を挙げ、対象がどのような反応を示しているか、 印象の根拠となるように場面と反応を記載する。

・上記と同様の印象を受ける特徴的場面を並行して記載する

・それらにおいて、反応と場面の関係を考える。つまり場面が対象にとってどのような意味につながったからそのような反応になるか、考えてもらう(この「考えてもらう」という部分がこの時点で行う解釈です)。

・上記と同様の反応が見られるほかの場面においても、対象に与える意味合いを考え、共通性がないか比較する。また共通性が高かった場合、統合していく(造語ですが、解釈の統合ですね)

 ・解釈の統合により見える、特定の要因群が対象に与える意味に対して見せる特定の反応群の意味を考える。それにより、対象の人物像や障害像を導き出す(ここが統合と解釈で成される一番重要な部分)。

 

そしてここからは、仮想のケースをイメージし、筆者がこれまでに関わってきた学生に書いてもらっていたものと同程度の構成や表現を用いて学生が書いた風に仮想統合解釈を記します。あくまで仮想であり、特定の患者を参考にはしていません(人物像は筆者自身を下敷きにしています)。また特定の学生の統合と解釈でもありませんのであしからず。

 

 

以下例文です

ケース:男性

職業:専門職(学生時代はアルバイト)

疾患名:統合失調症、抑うつ状態

統合と解釈(何度も言ってますが仮想ですョ)

OT場面では手工芸への参加が多く、また仕上がりに過剰にこだわり、思ったようにできた際には他者と比較してスタッフに絶えず肯定的評価を求めたり、納得いかない出来だと作品を処分することもあった。一方スポーツをはじめ自身の経験のない事には自身の経験のなさや興味のなさを前面に立てがちである。しかしうまく活躍できたと感じれば「今の良かった?」など周囲に同意を求めることが多い。

 

 またよく参加するカラオケでも同様に自身の歌に対しも手工芸同様馴染みの他者や担当スタッフに評価を求めることが多い。しかし新曲や知らない歌を他者にリクエストされても必ず断っている。

 

 このように本人の活動や参加の傾向は、自身の成果への肯定を求め、未経験なことへの拒否が強く感じられる。これらのことは、自己への肯定感が低く、少しでも自身の否定につながることを避けようとすることを指すのではと思われる。スポーツやカラオケなどに見られる自主的な制限は、自身にネガティブな評価に繋がると思える活動や参加を自ら避ける為ではと思われる(ここは解釈です)

 

 また対人関係においては礼節や受け答えは誰に対しても表面上過不足なく行えているように見える。一方「対スタッフ」の傾向としては導入時より関わってきた担当スタッフや特定の馴染みの強い相以外への関わりは見られず、手工芸でわからないことへの質問も最初から指導してくれた担当スタッフに偏りがちで、担当スタッフより経験もある年長者のスタッフへの関わりは全く見られない。これらについても自分が「できない」ということを他者に晒したり自分より革細工に詳しいスタッフと自身とを比較することを避けたのではと考える。また患者同士の交流の傾向も、自ら関わるのは同性同年代のおとなしそうな受動的な方や自身より年下の方、さらには手工芸を教えてあげることのある「自身を必要とする」患者に偏りやすい。病棟看護師も同様で、自身の作品を肯定的に評価してくれる方、あまり注意指導的に関わらない方以外に対しては苦手意識を持っているとのこと。このように対人関係においても自身に肯定的な印象を持っていると感じることのできる方への関わり中心となり、自身に対してあまり肯定的でないと思ってしまう相手や面識が少ない相手には自分から関わることが難しいのではと思われる(ここも解釈。そしてここから解釈自体の統合、解釈で出てきたことを生じさせる原因の抽出となります)。特に家人(母親)は本人に幼少より指導的で厳格な関係だったと明かしたり、「苦手」と言って自ら断絶状態としたこともこういった本人の傾向が原因ではと思われる。バイトや仕事での自身の成功体験や得意分野のみ自分の視点で語ることが多く、失敗体験については殆ど触れないなど自身の良い側面しか表に出せないのも同様の理由ではないかと思われる。

 

・しかし、これら参加の障害となる本人が周囲に抱く不安は、実際に周囲がそのようにケースに接している場面はない。むしろ自身が周囲に対して自動思考のように思っていると思われ、ケース自身が自尊感情や自己への肯定感が低いために周囲に身構えてしまうことから生じるのではないかと思われる(解釈で出てきたことが障害像を形成するプロセスの仮説を立てた)。

・実際退院後も「働かないといけない。でもちゃんと働けるんだろうか」ということが多く、働けないことへの不安が高い。またこれまで一専門職としてきちんとやってきたにもかかわらず「自分は何もできていない」と漏らすことが多く、自分の現状を否定的に繋げやすい。

・これら作業療法場面以外のことも併せて考えても、自尊感情の非常に低いケースであり自身の否定になることを避けるあまり不安感が絶えない生活となっている。取り組みも自己評価を仕上がりや結果に求めてしまうため過度の取り組みになったり自分が安心して結果を出せることしか取り組めない。対人関係においても自身を否定しない安心できる相手にしか関われず、自身の広がりが持てなくなっている(=参加の制限。対象の活動や参加を妨げる原因の特定)。実際本ケースは対人関係スキルの高さや新たな取り組みへの習得の速さ、緊張はあるものの他者にきちんと断りを入れたり礼節も保てているなど、就労をはじめ集団の中では適切に振る舞えたりでケースの社会参加や自身の在りたい生活や取組を妨げていると思われる。

 よって作業療法としてアプローチすべき点は、本ケースの活動や参加の制限となる自尊感の向上や自己否定感の軽減、それに伴う対人関係内で受けるであろう影響に振り回されにくくなることではないかと思われる。それによって活動や参加の制限が軽減され、より積極的な社会参加を継続していけるのではないかと思われる(ここは焦点化や治療計画の領域になりますが)。

 

 

 あえて学生らしく長文にしましたが、筆者が学生さんに書いてもらう統合と解釈の傾向や内容、流れについてはこういたものになります。正直太字部分のみをつなぎ合わせれば必要分の「統合と解釈」となります。

 しかし、考察が書けるということは評価部分があるから書けるということです。評価が統合と解釈とのマッチングが悪いときは、そこで触れたことが評価で書かれていないということになります。その際は表現の仕方が悪くて読み手に伝わらないのか、評価に中身がないということになります。でも、考察(の中身)の根拠に確信があるのなら、統合と解釈につながる場面を見ていることはあまり間違いないでしょう。内容に見合った評価を記載できるよう学生には頑張ってもらわなければならないでしょうが、そのためには指導者が学生に具体的に評価の書き方を伝えていかなければならないでしょう。

 そしてここで明確にしたそれぞれの問題の原因と因果関係とを考え作業療法で援助することが適切な項目を選ぶこと、すなわち作業療法で治療として関われることを見出し決めていく作業が焦点化ということになります。

 

 

 

④焦点化

統合と解釈を基に、治療の優先順位やどこから始めるかなど、定めることです。そのためには統合と解釈内にて障害の構造を明確にし、どこから関わるべきかの根拠となることを挙げる必要があります。対人緊張が高い理由が自己評価の低さであるとしたらどこから関わるか、確実にできることからするのかそれともケースが強く望んでいることから行うべきか、さらには治療内容や目的など明確に共有するのか明かさないままやっていくべきかなど考えるべきことは山積みです。しかしこれらも統合と解釈で障害像が明確化できていれば、考えるのはそう難しくはないでしょう。上記モデルケースなら、肯定感情の回復と周囲への安心感の向上(不安感の軽減)を並行して行っていくことがポイントとなるでしょう。しかしそれだけでよいというわけではないでしょう。普段のOTがきちんと自身の将来にメリットがあると感じれる使い方も必要ですし、具体的に示すことが必要でしょう(スケジュールを守って生活リズムを保つことで就労を想定した生活への移行がスムーズになる、とか)。

 

⑤治療計画

上記焦点化で一部触れましたが、関わるべきポイントや達成されるべき目標を達成するために具体的にどのような体験が必要で、かつその体験のために必要な環境や道具、スタッフの役割などを考えるのが治療計画です。

あと、ここで触れた①~⑤(特に③~⑤)については、実習指導支援ツールを見て頂ければと思います。むしろ実習指導支援ツールの内容をここに掲載していますので、まだ見ていない方は是非一度見てください。その際にはステージ4を一度目を通してから1に戻って順番に見て頂ければわかりやすくなると思います。

⑥考察の書き方(そもそもどう扱われてる?)

 レポートの記載において、統合と解釈や焦点化などは、比較的新しい表現ではないでしょうか?ロートルの筆者(先輩方すみません)の時代では統合と解釈=考察でしたし、考察内に焦点化が入っていたようにも思います。この風潮は今でもあるようですし、筆者としても否定はしません、というか、明確な記載の基準を指導要綱以外であまりみかけませんし。

 

 というわけで考察ですが、これはつまり治療に対する評価と分析です。焦点化→治療計画→実行の結果、ケースがどうなったのかをとらえ、変化の有無やその理由を、治療計画を背景に考える作業です。要は治療判定です。そのなかでケースの個人因子、環境因子、促進因子や阻害因子のとらえ方が妥当だったか?過不足がなかったか?そうなった原因は?など、ケースだけでなく治療者(学生)の因子を含みながら考える必要があるでしょう。そしてこれらは実習終了後も引き継がれなければなりませんし、引き継げる形に記載できれば学生にとってもメリットは大きいのではないでしょうか?

 

⑥レポートの書き方総括

 仮に筆者以上に実習のレポートの見本となるものがあっても、それだけでレポートが書けるわけでもないでしょう。手順を記したり、ポイントを記されていても、やはり難しいと感じる人が多いのではないでしょうか?

 

 その難しい理由を各人自分の中から気付くことが重要です。何度も言いましたが、レポートを書くのには動機や目的、すなわち何のために書き何を記さなければならないかを書き手が持っていなければ、第一歩が出ないでしょうし、書いていても絶えず「これでいいのかな」といった不安感が尽きないでしょう。本サイトは学生の為よりは指導者のためのサイトなので、指導者が学生に何を書いてもらうかをきちんと定めれることが必要です。そのためには実習で学んでもらいたいことや実習の目的を指導者自身が持っていなければなりません。もう一度臨床実習の目的に触れると・・・

 

「臨床実習の目的は、実習生が臨床実習指導者の指導のもとに、対象者の全体像を把握、作業療法計画、治療・指導・援助などを通して、作業療法士としての知識と技術・技能および態度を身につけ、保健・医療・福祉にかかわる専門職としての認識を高めることである(作業療法 臨床実習の手引きより)。」

 

 上記にある作業療法としての知識や技術、技能、態度が何のために要るのかを考えると、作業療法をきちんと行うためであり、作業を以てリハビリテーションを達成するためです。

 そのためには作業療法士がリハビリテーションの意義を理解し障害を持つことや持って生きることの意味、その中での作業が障害者だけでなく人にとってどのように意味があるのかの理解、そしてこれらを以て作業療法の存在意義を伝えることができることが必要と思います。レポートは単なる表現方法でしかなく、実習時のレポートで記載する項目にはそれを記載することの意味が存在します。しかしその意味は対象者を表現し、また対象者の現在の人生に影響を及ぼしているものを明らかにし、対象者のこれからに何ができるのかを導き出すために必要だからです。だからより良いレポートを書く、もしくは書き方を伝えるためには書式よりまず記載すべきことの意味の理解を高めてくれることを望みます。