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見学の意味、使い方

 見学実習は、よく1年や2年で行われますし、その目的も指導者の決まり文句として「経験の為」「(学生が)見たことがないから」というのを何年も何年も聞いてきました。しかし筆者はこういった目的のみで見学を使う指導者には閉口します。

 

 作業療法臨床実習の目的そのものは別項で述べましたが、学年ごとに取り組めたり理解できる領域は当然異なります。見学実習は見学でしか学べないこと、その時点で見学が一番有効な場合に使うのではないでしょうか?その様に見学を実習内で用いるのであればどの学年でも意味は高いでしょう。

 

 ただ、ここで問題となるのは、指導者が「作業療法」の見学実習をしようとしているのか、「作業療法士が働いているところでの業務や医療行為」の見学をしようとしているかということではと思います。

 

 というのも、よく「病棟の見学」「PSWからの講義」など聞きますが、作業療法との絡みを学生が理解出来るように行わなければ学生にとって「ふ~ん」でしかなく、また何のために書くかわからない記録を書かなければなりません。

 かといって指導者が実際に作業療法の実践を学生に見せ、説明をして学生が作業療法を理解出来なければ、自身や部署の動きが他職種と相互作用(連携とはいいません)出来ていなければ作業療法にとっての他職種、他職種にとっての作業療法を理解出来るような見学や説明は難しいでしょう。

 

 

 もう一度、指導者個々は自身の胸に手を当てて、自身が作業療法を示せ、また他者に理解できる実施と解説が出来るか? を考えてみましょう。本当はこれなくして、実習を行うことは難しいのではないでしょうか?

 

 安易に新卒者に「経験だから」と見学実習を担わせることをたくさん見てきました。そして確かに指導者にとっては良い経験となるのも理解できます(何やってよいかわからないということが、自身にとっては示せることや示したいことが乏しいからということが実感できたなど)。ただ、最初からでも現場の先輩なり管理者がある程度の方向性や学んでほしいことを示すだけでも指導者や学生はより適切に学べたり気付けるのではないでしょうか?確かに自力で気付けることは大事ですが、気付けるための状況や流れを用意し、乗っかってもらうことで、より適切に取りこぼしのない、より無駄で遠回りなストレスと手間のない実習の機会になるのではないでしょうか?

 

 ここで「やはりそれぞれの気づきやそこに至るプロセスが重要」と説く方もいると思うし気持ちはわかります。なので、指導者や学生が独力で気付けるための用意をすることが出来ればよいのではないかと思います。重ねて言いますが、いまは昔ではありません。短絡的な価値観や拘りを通すのは、エゴでしかありません。

 ただ、元々作業療法へのビジョンやイメージが乏しい管理職者の現場もあります。そういう場合は改革の機会と思って頑張ってほしいと思いますw

 

 

 

評価の意味、何をする機会なのか? R4.1.3更新

 

前半は作業療法評価のとらえ方への筆者なりの考えが強く出ていますのでご了承ください。

 

 作業療法にとって「評価」はどういう意味なのかを元々考える必要があります。現状では、単純な査定評定でしかないことも多いのではないでしょうか?

 

 「できるできない」の考えに基づく「査定評定」という思考の原因はICF的な考えにおいては活動や参加の制限や損失につながる「阻害因子」も抽出に心血を注ぐことが根底にあるように感じます。特に学生の表現(課題、レポート)においてその傾向が強くなりますが、指導者というかセラピスト自身も作業療法「評価」の意味についてどういった解釈がなされているか疑問に思うことも多いです。満を喫しての症例発表時の学生の発表内容を聞いて、「果たしてどこが作業療法なのか」と思うことが多く、指導者自身がそもそも学生に示せることがあってそうなったのか、何を伝え実践してほしかったのか疑問が絶えません。

 

 そもそも「活動や参加の制限」が「阻害因子」によって引き起こされることの集約に偏ったことではないと思います。筆者にとっての「評価」とは以下の3点に比重が多くとられています。

①対象にとって自分で在るために拘る理由がある行い=作業(「それぞれに意味のある行い」を理解する

②対象にとっての「作業」が形成されていったプロセスを考える

③対象にとっての作業があることで対象はどんな社会的活動や参加(=ICFにおける活動や参加)になっているかを理解する

④③によって対象が得られる「自身として在る」ことが対象にとってどのような影響につながるかを考える

⑤自身の活動や参加の周囲への影響、周囲から対象への影響、対象の周囲との影響のなかでの活動や参加の仕方絵の影響

※現場で行う順番があるとすれば⑤→⓵と、逆転しますが

 

 「作業」や「作業療法」の定義をどう受け止めるかについては最近では少しずつ個人であることが根底にあるような行いであることに触れられたりと、より具体的かつ深みが出てきているように感じます。しかし具体的かつ誰にでもわかるような示され方ではなく、人としての道理に訴えかける感じにも見えます。よって最終的には個々の受け止めや解釈に委ねられる結果となり、筆者の解釈もあくまで自身の経験と学習の中で成ったものでしかありません。ただ、提示されている考え方から大きく逸れては、「作業療法」 ではなくなりますのでかなり注意はしています。

 

 話を戻しますが、そもそも「作業療法」「評価」は人の身辺動作の査定ではなく、作業そのもの=個々にとって意味のある行いや拘りを、個々の活動や参加での自他への影響を把握した上で理解することではないかと思います。それはつまりは個人への理解であり、理解=個々がここであることの理(ことわり。根源など)を解るために行われることだと思っています。作業療法が「作業」を扱う以上、「作業」が個々にとって意味のある行いである以上はそういった視点を欠いた評価では作業療法評価ではないのではないでしょうか?

 

 筆者の解釈が正しいかどうかは世の中の判断に委ねます。しかし、作業療法士がある程度評価に対してしっかりと考えやイメージがないと、漠然とした「あかんところ探し」的な評価や「あかんところ改善」的な治療となり、それは「作業療法」とはかけ離れるのではないでしょうか?逆にしっかりとした考えやイメージがあれば、指導者はそれを実現させるための行いと手順があれば問題なく行えるわけですし、学生に見せることも説明すること=クラークシップも用意ではないでしょうか

 

 

 

 

 

クリニカルクラークシップとは?クリニカルクラークシップをうまく行うには?(H28.11.15更新)

「クリニカルクラークシップ(clinical clerkship)とは、従来の見学型臨床実習とは異なり、学生が医療チームの一員として実際の診療に参加し、より実践的な臨床能力を身に付ける臨床参加型実習のことである。学生が上級医の指導の下で「クラーク」として患者を受け持つことで実際の医療の基本を修得する」とあります。そしてその進行上学生は指導者の診療行為を観察し、またその観察内容について「チェックシート」を使用することになります。

 

 現在の精神科の実習のすべてを知っているわけではないので強くは言えませんが、診療場面の見学については「今までやってきた」と思われる方も多いでしょう。しかしここで重要なのは、指導者側が実演する自身の作業療法について内容や行為の理由を「事前に」説明する必要さえあります。そのため、学生が指導者の作業療法の行為と説明がきちんと繋がらなければ見学をしても「?」となってしまいますしそれでは意味はありません。説明や観察に対して学生自体の理解力も必要ですが、もともとの実践した作業療法自体が根拠と整合性のあるものであり、見学している学生に伝わるような内容が実践できていれば支障はありません。クリニカルクラークシップ実践に対して困る指導者は、自己都合や独自解釈優先による実践や理解不足のまま漠然と行っているなどの照明にすらなるのではないでしょうか。

 

 更にはクリニカルクラークシップは、これまでの実習のように単に学生が書いてきたレポート内容や実際の動きについてのチェックによる後出しじゃんけん的な方法ではなく事前に診療内容について説明後実演をするため、指導者が学生に文字通り査定されるということになります。チェックシートは、学生の理解度を測るためにもなりますが、学生が理解できるくらいに解りやすく整合性のとれた診療行為をおこなえているかという指導者側の採点表にもなるのではないでしょうか?

 

 

 特に筆者の現場である精神科作業療法の場面では、こういった実践場面でのセラピストの意図がわかる動きを目に見えて行うことが難しい場面もあります。しかし実際セラピストがどこまできちんと治療につながることを考えて振る舞ったり関わっているか疑問なケースもあり、正直精神科のOTが一番ヒヤヒヤする指導方法でしょう。しかし、逆にこれがきちんとできるセラピストであるべきではないでしょうか?できなければ普段の自身のOTは何なのか?ということを言われるのと一緒かも知れませんし。

 

 そしてクリニカルクラークシップの特徴として学生が見学したものを確認していくためのチェックシートがあります。このチェックシートは治療や診療のプロセスをチェックシート化したものです(前述の指導者への採点表といった側面もあるでしょうが)。しかし本来はシート内の項目やそのプロセスそのものにしっかりとした意味はありますが、その意味そのものが示されているわけではありません。むしろチェックシートを学生に使ってもらいながら診療行為を実践しても、学生に項目と行為とがうまく繋がって見えない可能性もあります(特に精神科では起きそうな気がします)。指導者側自身の作業療法やその説明のウェイトがきわめて重要となるわけです。またこのチェックシートを他の作業療法士がマニュアルとして使うことも可能だとは思われますが、単になぞっていけば製作者と同じ成果を上げれるといった安易なものではありません(筆者としてはここに誰もがクリニカルクラークシップを行えると言うことができない莉湯があると思っています)。

 

 つまり、単にチェックシートを使うだけでクリニカルクラークシップが完了できるわけではないというわけです。

 

 クリニカルクラークシップ実践に重要なのは、治療者個々の自身の診療分野への理解度と再現力であり、それは自己評価ではなく他者にきちんと理解され評価されるものでなければならないのではと思います。要はきちんと狙って動け、患者さんも感じれるような貢献を出来てこそではないでしょうか?治療者内でのみあれこれと言い合ったり治療者主体の診療行為を行っていることに気付かない者ではクリニカルクラークシップどころか、実習指導そのものが難しいのではないかと思います。要は元々きちんとしたセラピストであれば、クリニカルクラークシップそのものはあまり難しくないということでしょう。

 かと言って、自身の作業療法に対して「こういう意味でやっている」「この動きや関わりにはこういった意味がある」など学生にただ受け入れさせるような説明などは当然意味がありません。指導者のセラピストとしての動きが実際第三者にどう映るか?指導者自体がどう伝えられるか?そしてそれを評価するのは指導者自身ではなく患者さんであったり学生自身であることはわすれてはいけません。

 

 これら筆者のつぶやきを基に「よりよりクリニカルクラークシップを行う為には」を考えると・・・

①セラピスト自体がきちんと自身の領域について、(誰もがわかるように)説明することができる。

②①の説明を反映させた診療行為を、第三者から見ても納得できるような動きが行えること

③②において、見ただけでは納得できなくても補足や説明により十分納得できること

④学生が説明を理解できる説明が行えること

⑤指導者の見解を押し付けるような指導や説明はしてはいけない

⑥見学の後はやっぱりレポートは出してもらう

※筆者としてはクリニカルクラークシップとはいえ、見学内容の理解度、指導者の説明や診療行為についての査定のためにも見学への理解を確認するためにもレポート提出は必要と考えます。

 

 

 ちなみに実習指導支援ツールの考え方は、クリニカルパスの形態を利用した、自身の診療行為全体の明確なプロセス化であり、クリニカルクラークシップの方法として制作したものではありません。しかしあらかじめ診療行為全体を学生に伝えることができます。これは学生が指導者の診療行為(作業療法)を理解できるか?指導者が学生に理解できる実習指導が行えるか?の査定を行なえるということでもあります(もちろん内容に整合性があってのことですが)。そしてツールに沿った診療行為が行えるということであれば指導者の診療行為を見学しても理解できる可能性が高くなると思われます。そうなれば先の「チェックシート」も十分に意味のあるものになるのではないでしょうか。